気分は日記

あんまり調べずに書く、よくある感じの日記です。

簡単日記(20240311)

ミア・カンキマキ 著、末延弘子 訳『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』を読む。フィンランドで広告代理店に勤めるアラフォーのミアが、1年間の休暇(申請すれば会社に所属しながら1年お休みが取れる仕組みがフィンランドにはあるらしい)を利用して、大学時代から共感と興味を持ち続けていた清少納言の研究を始めるノンフィクションのような、エッセイのような、自伝的小説のような話。

現地の大学といった研究機関に所属するでもなく、日本語も出来ないままに、ミアはまず京都に住んでみる。研究するにはなんだか遠回りなアプローチだな…と思いながら読み始めたけれど、その暮らしの中で出会った日本文化の切り口や、ミア自身の生活の手触りを苗床として「セイ」と対話しながら思考を育てていく様子に、「研究」ってこんな個人的なやり方もあるのかと気付かされていく。あるいは「何かを知る」のは、個人的なやり方のほうが楽しいのだから、好きにやったらいいんだよと言われているような自由さがある。

ヴァージニア・ウルフ1920年代にイギリスの『ヴォーグ』で紫式部を紹介したらしいことをミアが発見するエピソードもおもしろい。「ウルフがセイのことを知っていたら、きっとムラサキよりも好きになっていたはず!」と興奮気味に語りながら大英図書館で関連記事を探すミアの様子は、現実の友人を励ましているみたい。研究対象との親密な関係性に、幸せな営みだなといつのまにか羨ましくなっていた。

鏡を通して私たち二人を見ていたら、あなたは私で私はあなただと気がついた。そうよ、物を書いている独身の四十代の女性が感じるままに生きると、この世界では何が起こるのか、私は知りたい。仕事を辞めて、白い霧の中へ歩いたら、私に何が起こるのか知りたい。ハッピーエンドになるだろうか?それとも、貧乏で孤独な尼乞食になることは避けられず、その緩慢さを後世に伝える警告として語られるのだろうか?セイ、私たちに何が起こるの?

清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』(草思社 P.469)