あいまい工場製造日誌

あんまり調べずに書く、よくある感じの日記です。

『短歌の友人』もうすぐ読み終わり。

穂村弘の「言葉」、「歌人」、「時代性」に対する距離の取り方がいい。第3章〈リアル〉の構造より引用。

 それにしても〈酸素〉とは何なのか。現在の我々の世界が酸欠状態にあるとして、時間の流れと共に失われた〈酸素〉の正体とは何なのだろう。例えば、それは心だろうか。人間から愛や優しさや思いやりといった心が失われたのだろうか。そうではない、と思う。根拠があるわけではないが、仮に人間の愛や優しさや思いやりの総量を測る機械があったら、その数値自体は今も昔もまったく変化していないように私には思われる。
 いや、むしろ今の世界においてこそ、行き場を失った優しい心たちが、世界の至る所に虚しく溢れているのではないだろうか。うまく表現できないのだが、〈酸素〉とは、愛や優しさや思いやりといった人間の心を電波循環させるための何か、のように思われてならない。その何かが豊かに存在した世界では、「幼児の風邪きづかひて戻り来るきさらぎの夕べいまだ明るし」のような歌が自然に成立可能だった。だが、現在の酸欠世界においては、愛や優しさや思いやりの心が、迷子になったり、変形したりして、そこここに虚しく溢れかえっている。

短歌をじっと優しく見守ってるような口調に感じた。エッセイとか、自身をむき出しにすることに対する照れがあるような、その結果としての洒落た文章を書く人という印象だったけど、ここまで真摯に語るんだなあ。