気分は日記

あんまり調べずに書く、よくある感じの日記です。

暑いので妖怪の楽しさについて

妖怪が好きで、という話をすると「ゲゲゲの?」と聞かれるのだが、それもあるけどそもそもの成立にグッときているんですよとお伝えしたい。ちょいちょい周りの人には話しているのだけど、なんとなくうろおぼえの妖怪知識をここにメモっておきます。有識者による補正を期待しつつ。



【1】博物学から派生しているあたりがかわいい
楽市楽座なんかが施行された大昔、日本各地の珍しいもの、珍しい動物なんかが市に集まる様になって、みんなが収集する楽しさに気づき始めたんだって。で、「蝦夷の地には珍しいクマがいるらしい」とか、「四国には見たことのないほど鮮やかな花が育つらしい」とか言い出して、じゃあそれらをカタログ的な本にまとめようって流れが生まれ、博物学が進化したと。

まあそもそも見たことのないないものを、噂を頼りにまとめることもあったもんで、たとえば鯨はかなり怪獣みたいな風貌だと伝えられてたんだって。そんな中で、民話として伝えられていたカッパのような、空想上の動物も、実在の動物に紛れてカタログ化され、全国に流通していった。博物学は「まだ見ぬものを理解し、整理し、世界を知る」って大志のもとに成長していった学問。その好奇心が故に紛れ込んできた妖怪の存在自体がチャーミングだし、みたこともない空想の生き物のことを真剣に整理していた人間自体のことも愛おしいのう、と思うわけ。てわけで、イイよね妖怪!


【2】理解できない感情をキャラ化した結果、大ブレイクしたあたりがカワイイ

つぎに妖怪が流行るのは江戸だと聞いたことがある。発達した都市であった江戸でも、たとえば暗がりとか、まだまだ未開の場所、言ってみれば整備されていない自然が身近にあった街だったんだって。そんなところを丑三つ時に通ると、どうにもザワザワした不安な気持ちになる。でも、なにがそうさせてるか分からない。そんな「人知では理解しえないこと」が満載の世界を理解しようとした結果、現象や気持ちにキャラクターを与えるっつうソリューションを日本人は編み出した。そのキャラクターが、妖怪だったんだって。

「柳のしたを通るとゾワっとるすだろ?あれは幽霊っつうのがいるからなんだよ」とか、どれだけ人間にとってストーリーが大切なのかが分かるエピソードだし、なんと言っても人間社会の外にあることを表層化させて生きる力にするなんて芸術そのものの働きじゃないですか。日常生活の中かでそれが生まれた、ってことが、イキイキとした江戸の人たちの生命力を感じるようで好きなエピソードなんです。

そんなアートな存在だった妖怪がさらに庶民の文化に根付いたのは、浮世絵の存在も大きかったらしい。とにかく「はやりもの」を刷りまくっていた浮世絵だから、妖怪の噂ももちろんキャッチアップ。妖怪というキャラクターにキャッチーな外見を与え、日常を切り取った絵の中に混入させていった結果、愛されるべき存在になっていったんだと。自然への畏怖をキャラ化して日常を通じて愛でる。人間のずーずーしさやちゃっかりした感じを存分に味わえるエピソードで、これも大好き。きっと現代のキャラクタービジネスの発祥にも大きく関わってるんだろうな、妖怪まじやばい。



これらのエピソードはどっかの本で読んだり展示会でみたりしたことのうろおぼえ集合体なので、きっと事実とは違うことも言ってると思います。ただ「妖怪ちょっと面白くね?」と思ってもらえればうれしいなーと思い書いてみたのだった。あとは、「そんな話が好きならこんな本を読むといいよ」って教えてくれる人たちが出てこないかな、なんて下心も。以上、妖怪メモでした。



はー、iPhoneBluetoothキーボードで書くといつもと全然ノリが変わっちゃいますな。おもしろい。