気分は日記

あんまり調べずに書く、よくある感じの日記です。

思った

ニュースばかり見ていると「この深刻なニュースについてちょっと良い感じの独自意見を持ちたいな!」という気持ちになるメカニズムについてこの数ヶ月しみじみと実感できた。最近、やるかーと思い仕事を頑張っているのだが、頑張ると頑張った分だけ時間が限られて行き、ぼんやりとインプットできるのはちょっとした世間話であり朝のラジオから流れるニュースでありTwitterで話題になっている時事問題くらいで、その結果、考えることは俗世のことばかりなりなのだ。ところで、本を読み映画を見て何かを考えることと、ニュースを見て何かを考えることは、矢印が自分に向かっている限りでは基本的には大差がないような気がする。違うのは、事実をトリガーとしながらも何かの文脈に沿って解釈し別の何かを包含しながら多くの人に伝える機能である「ニュース」と、初めから何かを伝えるために取り組まれたフィクションである「小説」と「映画」という在り方だけであり、だからぼくはフィクションに孤独と潔さを感じるのかな、と思う。