気分は日記

あんまり調べずに書く、よくある感じの日記です。

熊本

熊本へ。前職で一度降り立ったことがあるのだが、その時はたしか街からずいぶん外れた場所での取材で、市街地は初めてなのだった。市電A系の路面電車を便利に使う。街の中心部にある停留所には屋根が付いているのだけど、ちょっと行くと道路の真ん中が小高くなっているだけで、そこが停留所。これ初プレイで乗車イベント発生させるの、けっこう難しくないですか。

熊本はもともと佐々成政が大名として治めていた地域だが、国衆による一揆により撤退。後任の加藤清正により豊臣秀吉の天下の元、熊本城が築城されたらしいと学んだ。申し訳ねえ、旦那衆はまったくご存知のことかと思うんですが、あっしは歴史をまったく知らぬゆえ、この程度の知識でも、どうも新鮮な逸話として響いてしまうんでさあ、へえ、へえ(ドストエフスキーのイメージでお読みください)。

山の勾配を利用した守りに適した広い敷地に多くの矢倉を立て、映える天守閣を設けた熊本城の敷地を歩く。佐々成政時代の出来事を踏まえ、戦にも有用な権威を誇示する『統治のための城』だったのではないかという印象を受けた。清正は朝鮮出兵などで城を空けることも多かったらしいが、民からはかなり愛されていたみたい。こうやって今に伝わる戦国武将の姿というのは、どのように形作られていくのかなと思う。江戸時代にエンタメとして消費されるために作られた物語による部分もあるのだろうか。

熊本市立熊本博物館が非常によかった。歴史と自然史の展示。リニューアルしたばかりらしく、きれいで、整理されていて、快適だった。加藤清正の後任である細川家が参勤交代の際に使っていたという船の展示が特に気に入った。「波奈之丸(なみなしまる)」という名前がかわいい。波があるのイヤだもんね。

先の震災で被害を受けた熊本城を再建するため、石垣に使われていた巨石を開けた場所に並べている様子を街のいろいろなところで見かけた。崩壊したものを解きほぐして元あった場所を確認し、また組み直していくプロセスが街のあちこちで物理的に行われていて、その営みを目にしながら《再生》という言葉を使うことについて考えている。

だらだら

達成感を得ることを目的としないが故に目標が達成できなくてもやる気を失うことなくむしろなんとなくずいぶん長い期間続く、みたいな状態を目指し結果として目標を達成するといったやり方に興味がある。今年はそうやってなにかをヌルッと始め、続けながら生きるシーンを増やそうと思った。好奇心、やりがい、結果が出る快感などに弱くそれらをエサとして目の前にぶら下げながら自走することが得意な方の人間であるし、小さな目標達成を繰り返すことで成長体験を積み重ね高みに至るやり方の有用性もわかるのだが、カロリー消費を極力抑え生活の質は大きく変えず5年くらいかけてだらだらと長い坂を登るようなやり方も、たぶん今ならまだ覚えられるような気がしている。

ここまでの話とはまったく関係がないが最近Spotify岡村靖幸を聞いている。節回しなのか、単語選びのセンスなのか、歌声がやたらとgroovyで楽しい。あと《SUPER GIRL》を聴くとシティーハンターを見たくなるなと思った。

ごち

年末年始のセールを満喫したいという気持ちが強く、だが混み合った街に出たくない思いとの協議の末、Switchのダウンロード版が安くなっていた『信長の野望・創造 with パワーアップキット』を購入。歴史に疎くもちろん歴史上の人物名も知らぬためチュートリアルが終わってさあどの武将でやりますか?と聞かれてもピンと来ない。君たちは誰だ。というか「信長の野望」なるタイトルにも関わらず信長すらいないのか、と武将の多彩さに感心した(信長出生直後、信長の父でやるエピソードだったらしい)。いまのところ、かっこいい武将のキャラ絵はいかにもちょんまげ、という表現をさけるように兜を被るなどしているなあ、などと独りごちながらカジュアルに他家を滅亡させている。2019年は戦国時代ではないのでいきなり打ち首・滅亡はないと信じたいが信長の野望で学んだことを活かしなんとか1年サバイブせねばなと新年の想いを新たにしたのであった。

ゆめゆめ

あけましておめでとうございます。みなさま年末年始はいかがお過ごしでしたでしょうか。ぼくは年末になんとなく体調を崩しなし崩し的に自宅で年越し、元旦に実家へ帰り3日まで起きている時間は飲酒と暴食のみを生業とするクズとして過ごしました。飲み食いするにも体力がないとなあと思ったので今年は体を鍛えたいと思います。酷使した我が胃腸が、財産を持たぬ人間は己の身体のみこそが唯一絶対の資本であることをゆめゆめ忘れるでないないぞ、と言っている。といわけで本年もどうぞ宜しくお願い致します。

開き直って酒

職場の飲み会が好きだ。

そもそもお酒が好きなので酒のあるところが好き、という大前提はあるし、職場自体がまあ価値観も違うし趣味も違う人たちが生計を立てるために選択した経済的手法としての仕事を共有しているだけというゆるいつながりなのが良くて、学生時代に行ってきた選択も違うし仕事を通じて実現したい自己の姿も違うという幅のあるただの集合であるのにも関わらず酒という何かを弛緩させるものをお互い摂取しながら空中戦とも言える接点の少ない人間同士がいきなりゆるい話をしなければならないレギュレーションの場に放り込まれるという雑さもいい。

つまらない話しかできない人もかわいいし、世代間のギャップがあって話が通じないのもああ話が通じないなと開き直って酒を飲めばいいわけで、いまのところ酒が飲めること一択でこのジャンルは乗り切っている気がする。酒が飲めない体になったときにぼくはこの場のことをどう受け止めることができるのだろうか。

ダメさ

ここ数年はNoltyの能率手帳小型版を使っていたのだが正直ちょっと飽きている。目先が変わるものはないかしらと思っていたところ、同じくNoltyから今年出たらしいライツメモ小型版(商品番号1181)が良さそうだったので追加で買ってみた。

大きさは能率手帳小型版と変わらずで、見開き1週間のところまでは同じ。ライツメモは日付のあるスペースがマンスリーのブロックサイズ程度にまとめられページ上部に寄せられている。その下にできた余白は、2Pにわたるフリーメモに。

手帳の何が辛いかといえば「何も書かないページが続いていくことで自分のダメさを常に自覚せざるを得なくなること」だ。

ほぼ日なら1日1P、見開き1週間なら2Pで7日間を分割して埋めていくが、埋められない日が続いてしまうことも間々ある。空白の枠が続くと焦りを覚え、またその手帳の存在がどんどん不完全なものに感じ、手元に置くことが罪に感じる。その問題をライツメモ小型版は「1週間に1度書き込めば2ページ全体を有効に使った形になる」というやり方で回避しようとしている。ストレスは仕組みで避ければ良い。

なお、ほんとうに何も書く気が起きないときは、「今日はうんこがめっちゃ出た」みたいなことを書いている。仕組みすら活かせないときに自分を助けるのはどうでもいいことだ、というのが今のところの実感である。

去る

J 1リーグ最終節を現地で見る。ぼくは横浜F・マリノスを贔屓にしているのですが、かれこれ5年くらい新横浜は日産スタジアムにせっせと通い、オフシーズンは移籍情報に胸を痛め、学生からプロになった選手の成長に目を細めているうちに所属する選手の人生に寄り添っているような気分になり、サッカー競技を見る楽しみに加え、毎週90分間開くことのできる小説を読み続けているような気持ちがある。今年もいろいろなことがあったし、この冬にも起きるのだろうな。「フロントも選手もいつか去る。だがサポーターだけは常にチームと共にある」という言葉があると聞いた。実感として非常にわかる言葉だなと思う。