あけましておめでとうございます。みなさま年末年始はいかがお過ごしでしたでしょうか。ぼくは年末になんとなく体調を崩しなし崩し的に自宅で年越し、元旦に実家へ帰り3日まで起きている時間は飲酒と暴食のみを生業とするクズとして過ごしました。飲み食いするにも体力がないとなあと思ったので今年は体を鍛えたいと思います。酷使した我が胃腸が、財産を持たぬ人間は己の身体のみこそが唯一絶対の資本であることをゆめゆめ忘れるでないないぞ、と言っている。といわけで本年もどうぞ宜しくお願い致します。
開き直って酒
職場の飲み会が好きだ。
そもそもお酒が好きなので酒のあるところが好き、という大前提はあるし、職場自体がまあ価値観も違うし趣味も違う人たちが生計を立てるために選択した経済的手法としての仕事を共有しているだけというゆるいつながりなのが良くて、学生時代に行ってきた選択も違うし仕事を通じて実現したい自己の姿も違うという幅のあるただの集合であるのにも関わらず酒という何かを弛緩させるものをお互い摂取しながら空中戦とも言える接点の少ない人間同士がいきなりゆるい話をしなければならないレギュレーションの場に放り込まれるという雑さもいい。
つまらない話しかできない人もかわいいし、世代間のギャップがあって話が通じないのもああ話が通じないなと開き直って酒を飲めばいいわけで、いまのところ酒が飲めること一択でこのジャンルは乗り切っている気がする。酒が飲めない体になったときにぼくはこの場のことをどう受け止めることができるのだろうか。
ダメさ
ここ数年はNoltyの能率手帳小型版を使っていたのだが正直ちょっと飽きている。目先が変わるものはないかしらと思っていたところ、同じくNoltyから今年出たらしいライツメモ小型版(商品番号1181)が良さそうだったので追加で買ってみた。
大きさは能率手帳小型版と変わらずで、見開き1週間のところまでは同じ。ライツメモは日付のあるスペースがマンスリーのブロックサイズ程度にまとめられページ上部に寄せられている。その下にできた余白は、2Pにわたるフリーメモに。
手帳の何が辛いかといえば「何も書かないページが続いていくことで自分のダメさを常に自覚せざるを得なくなること」だ。
ほぼ日なら1日1P、見開き1週間なら2Pで7日間を分割して埋めていくが、埋められない日が続いてしまうことも間々ある。空白の枠が続くと焦りを覚え、またその手帳の存在がどんどん不完全なものに感じ、手元に置くことが罪に感じる。その問題をライツメモ小型版は「1週間に1度書き込めば2ページ全体を有効に使った形になる」というやり方で回避しようとしている。ストレスは仕組みで避ければ良い。
なお、ほんとうに何も書く気が起きないときは、「今日はうんこがめっちゃ出た」みたいなことを書いている。仕組みすら活かせないときに自分を助けるのはどうでもいいことだ、というのが今のところの実感である。
それぞれのご当地戦国武将
YouTubeで『信長の野望』のプレイ動画を見ている。高校時代に日本史を選択せず、地元群馬はあまり武将がもてはやされる土地柄でもなく、また大河ドラマも多くは見てこなかったのでぼくは武将に疎いのだが、ああ新潟のあたりは上杉謙信の勢力下だったのね、とか、北条家にとって小田原城は大切だったんだなあなどとぼんやり考えながら見ている。そういえば岐阜駅前には金ぴかの信長像があったなあと思い出し、同僚と昼食を食べながら「地元で愛されてる武将とかっていました?」と話題にしてみたところ、ややあって「石田三成」との回答。ぼくも知ってる有名武将!うらやましい!一方でそんな有名武将をなぜか昼食時に紹介する羽目になった滋賀県出身である先輩の口調は少し誇らしそうでもあり、これはもしかして社会で働く妙齢の御仁はみな心の中にそれぞれのご当地戦国武将をそっと温めているのではないだろうか?とのあらぬ疑いがぼくの中で大きくなっていくのを感じたのだった。
羞恥
チョン・スチャン 著、斎藤真理子 訳『羞恥』を読む。「脱北者」が韓国社会で生活していく現実を描いたと言われている小説だ。
戦争や歴史、政治、経済といった個人を飲み込んでいく大きなうねりの上澄みを無意識に利用し溜飲を下げようとしてしまう恥知らずな人間たちによる物質主義社会の中で、経験してしまったこと、背負わなくても良かったはずの罪の意識、そこから生まれた忘れ得ぬ羞恥心を見つめ、その向こう側に見える不確かだがその瞬間は確かに存在している「生」を意識せざるを得ない人たちの話だった。
社会問題を扱いながらもその引力に負けぬ存在感のある人物像を描き切り、その上で、傷ついた人が抱えるどうしようもない寂しさに寄り添うような普遍的な物語として完成させていて骨太。かなりよかったです。