気分は日記

あんまり調べずに書く、よくある感じの日記です。

それぞれのご当地戦国武将

YouTubeで『信長の野望』のプレイ動画を見ている。高校時代に日本史を選択せず、地元群馬はあまり武将がもてはやされる土地柄でもなく、また大河ドラマも多くは見てこなかったのでぼくは武将に疎いのだが、ああ新潟のあたりは上杉謙信の勢力下だったのね、とか、北条家にとって小田原城は大切だったんだなあなどとぼんやり考えながら見ている。そういえば岐阜駅前には金ぴかの信長像があったなあと思い出し、同僚と昼食を食べながら「地元で愛されてる武将とかっていました?」と話題にしてみたところ、ややあって「石田三成」との回答。ぼくも知ってる有名武将!うらやましい!一方でそんな有名武将をなぜか昼食時に紹介する羽目になった滋賀県出身である先輩の口調は少し誇らしそうでもあり、これはもしかして社会で働く妙齢の御仁はみな心の中にそれぞれのご当地戦国武将をそっと温めているのではないだろうか?とのあらぬ疑いがぼくの中で大きくなっていくのを感じたのだった。

羞恥

チョン・スチャン 著、斎藤真理子 訳『羞恥』を読む。「脱北者」が韓国社会で生活していく現実を描いたと言われている小説だ。

戦争や歴史、政治、経済といった個人を飲み込んでいく大きなうねりの上澄みを無意識に利用し溜飲を下げようとしてしまう恥知らずな人間たちによる物質主義社会の中で、経験してしまったこと、背負わなくても良かったはずの罪の意識、そこから生まれた忘れ得ぬ羞恥心を見つめ、その向こう側に見える不確かだがその瞬間は確かに存在している「生」を意識せざるを得ない人たちの話だった。

社会問題を扱いながらもその引力に負けぬ存在感のある人物像を描き切り、その上で、傷ついた人が抱えるどうしようもない寂しさに寄り添うような普遍的な物語として完成させていて骨太。かなりよかったです。

21時

六本木ヒルズ森美術館15周年記念展『カタストロフと美術のちから展』へ。森美術館は21時閉館なので平日でも行けるチャンスがあってわりと行きがち。

カテジナ・シェダー《どうでもいいことだ》は仕事を辞めて無気力になってしまった母親が長年勤めた金物屋の商品を詳細に覚えていることに気づき、それらをドローイングしてみることを提案。その様子を記録したプロジェクト。自分の世界を「どうでもいいこと」として扱うのはさみしい。記憶という自分の内面をアウトプットする中で世界との関わり方を再発見していくプロセスが優しくて、好みの表現でした。

本展のサブタイトルは「先行き不透明な混沌とした時代に、アートだからできること」。できること、役に立つこと、みたいな話はあまりしたくないけれど、どうにかやっていくための手段としてアートもある、という選択肢がゆるく認識されている世界は悪くないのかもしれないなー。

『植物たちの救世主』を

カルロス・マグダレナ(翻訳:三枝小夜子)『植物たちの救世主』を読む。世界最大級の英国国立植物園キュー・ガーデンで植物の繁殖に携わる著者のエッセイ。植物への情熱が感じられる語り口はノーベル物理学賞受賞者であるリチャード・P・ファインマンのエッセイ『ご冗談でしょう、ファインマンさん』を彷彿とさせるくだけた部分もありながら、植物のラテン語表記を必ず入れるなど読者に対する誠実さが現れていて好感。バーテンダーからスタートしたキャリアもユニークだ。

現時点で利用価値が見出せない植物だからといって根絶させてよいはずがないし、理解できないからこそ、その存在を保全していくべきだという著者の姿勢に強い共感を覚えた。こういう気概でないと何かを救うことなんて出来ないだろうな、と思う。

バーフバリだけに

Netflix で『バーフバリ 王の凱旋』を見る。マヒシュマティ王国の王となるバーフバリが民の生活を知るために旅に出る、という話。どこにいっても、なにがあっても、バーフバリは絶対的に「王たる者」なのが非常に良かった。特に、溢れるカリスマゆえに民からめっちゃごはんを口に押し込まれるところがよかった。

リアリティラインが絶妙な作品でもあった。バーフバリだけに涼やかな風が吹き髪がたなびいたとしても、彼まじ王だしパラメータ設定やレギュレーションが違って当然だよなという感想しか出てこない。CGが一部稚拙に見えるが、でもそういう世界なのだと納得できる妙なバランスがあった。

シリーズ2作目から見るのどうなの、とは思っていたのだが、あまり細かいことを気にせず楽しめた。1作目も見てみたいな。

エニタイムなにがし

仕事多忙につき以前通っていたジムを解約。かわりにエニタイムなにがしなる名を持つところに入会した。「24時間いつでも使える」という一点だけでその日ジムに行かない理由をひねり出すことが難しくなり、結果10月は順調に通えている。

体重の変動に一喜一憂せず筋肉痛に小さな達成感を覚え、一方でモチベーションに頼らず惰性で通えることをジム通いの目標にしている。ゾンビのように家を出てしばらくしたらちょっとスッキリした顔で帰宅しているのは、そう言った理由なのだ。

2018年ルヴァン杯

Jリーグルヴァン杯決勝、湘南ベルマーレ横浜F・マリノス埼玉スタジアム2002で見る。雨の予報だったのでカッパを持ち、荷物を入れる袋も用意して行ったが試合開始時には晴天となった。1-0でベルマーレの勝利。高い位置から積極的にプレスをかける湘南のディフェンスをいなすことが出来ず、マリノスの前半はシュート3本で終わった。後半はサイドの崩しから積極的にクロスを入れるもゴールには届かず。

驚異的な回復で全治8週間と言われた左肘の骨折から4週間で復帰したもののゲーム開始時からは伊藤翔を使えなかった点、ニューヒーロー賞受賞となった遠藤渓太が怪我で出場出来なかった点などが頭をよぎるが、タラレバを言っても仕方がない。いまそこで頑張っている選手を応援するのみである。

しかし今年のサッカー観戦は辛抱すべきシーンが多い。次だ次。結果が出るまでやるのだ。

無心になりたい帰りの電車でドラクエ11、クリア後のエピソードを少し進める。最近はオクトパストラベラー をやっているのでどうしても比較してしまうのだが、ドラクエの演出がファニーであることに目が行った。対象年齢の違いのような感じ。