気分は日記

あんまり調べずに書く、よくある感じの日記です。

『短歌の友人』もうすぐ読み終わり。

穂村弘の「言葉」、「歌人」、「時代性」に対する距離の取り方がいい。第3章〈リアル〉の構造より引用。

 それにしても〈酸素〉とは何なのか。現在の我々の世界が酸欠状態にあるとして、時間の流れと共に失われた〈酸素〉の正体とは何なのだろう。例えば、それは心だろうか。人間から愛や優しさや思いやりといった心が失われたのだろうか。そうではない、と思う。根拠があるわけではないが、仮に人間の愛や優しさや思いやりの総量を測る機械があったら、その数値自体は今も昔もまったく変化していないように私には思われる。
 いや、むしろ今の世界においてこそ、行き場を失った優しい心たちが、世界の至る所に虚しく溢れているのではないだろうか。うまく表現できないのだが、〈酸素〉とは、愛や優しさや思いやりといった人間の心を電波循環させるための何か、のように思われてならない。その何かが豊かに存在した世界では、「幼児の風邪きづかひて戻り来るきさらぎの夕べいまだ明るし」のような歌が自然に成立可能だった。だが、現在の酸欠世界においては、愛や優しさや思いやりの心が、迷子になったり、変形したりして、そこここに虚しく溢れかえっている。

短歌をじっと優しく見守ってるような口調に感じた。エッセイとか、自身をむき出しにすることに対する照れがあるような、その結果としての洒落た文章を書く人という印象だったけど、ここまで真摯に語るんだなあ。

『短歌の友人』読み途中。

穂村弘『短歌の友人』読んでる。第3章「〈リアル〉の構造」より引用。

人間の生存を支える合目的的な意識こそが、ベンチの上に確かに在るはずの「うめぼしのたね」を、我々の目に映らなくしている、と。すべての人間にインプットされている「生き延びる」という目的とそれに向かう意識こそが、我々を詩のリアリティから遠ざけているのではないだろうか。(P90)

リアリティを持つ言葉は「生き延びる」ために必ずしも有益であると判断されていない位置に潜んでいる、と解釈。ほむほむのこの辺に対する言及いつもヒリヒリしてて面白いな。

最初はこっちで書こうとしてたけど

本の感想に繋がっていったので、あっちのブログに書きました。

とりいそぎ、ご連絡日記。 - 「余裕」の話と、フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

読んだ本の感想というより自分語りの気恥ずかしい文章になった。

 

「余裕」の話は最近とても興味があって、例えば自分の好きなアイドルがお泊りしたときにどう受け止めるかとか、(ちょっと古いけど)満員の電車にベビーカーが乗ってきたとか、八百長の取組があると誰かがいまさら指摘したとか、「自分の価値観の外にあるもの」が事故みたいにぶつかってきたときにどうしましょ、という内容。よくわかんないものはもう全部妖怪ってことにすればいいんじゃねーですかね。

昔はWhat's NEWと言ったもんじゃよ…。

もういっこのブログのほうで記事を書きました。

 

 

しゃべり方がそっくりで親子って似るんだなと思った。OKAMOTO’Sの本拠地は新宿レッドクロスなんだそう。ちょっと懐かしい名前だな。

あけましておめでとうございます

アカウントだけ作っていたこちらのブログ、久々に触ってみたところ外部サービスとの連携がやたら便利そうで、各種WEB活動のまとめに使うのがいいのかもというお告げを受けたのでこっそりと利用開始。普段はTwitter、本の感想とかちょっと長めの文章は『とりいそぎ、ご連絡日記』に書いております。

 

写真は元旦、実家は群馬の坂東大橋から見た初日の出。待ってたけどなかなか雲から出ず、大変寒かったので「日、出たね」ということにして肉まん買って帰りました。今年もどうぞよろしくお願い致します。

いろいろとメモ

ほおっておくと広告の出るはてな。半年振りですご無沙汰です。

さいきんはコツコツ働いたりジムに通ったり地味に暮らしております。18の頃からずっと続けていたDJもなんとなく途絶え、初めてかなあ丸1年アウトプットらしいアウトプットをせず過ごしました。歴史に興味が沸き(古代や大航海時代がブーム)、NHKの番組のことがより好きになり、ラテンアメリカ文学を読んでいます。なんだろう、これが年を取るってことなのかしら…。先日31になりました。年々、自分の親が今の年のころは、なんて思ってあーうーとなる感じです。

ふとはてなを書こうと思ったのは、日記とか、個人のちょっと長めのテキストが蓄積されるようなサービスがこのさきインターネット上でちゃんと生き残るのかなあ生き残って欲しいなあと考えていたから。

ぼく自身、いま、ちょっと頭を使って内容を整理してから書くような文章はWordpressの練習もかねて個人サイト(おかわり)に置くようにしているけれど、もっとフランクで、でも140文字よりも長くて、かつそこまで調べてなくてもなんとなく許される日記っぽくて、かといってワキの甘い内容でもみんなに血祭りに上げられないような社会の速い流れからはちょっと離れた寛大な空間で、コミュニケーションを強制されるでもなく、でもクローズドじゃなくて、しかも寂しくない。そんな場所があるといいよなあ、とかつらつらと考えています。この世にそんなものはあるんだろうかねえ。

味噌

ヨドバシでSHURE SE215購入。耳にケーブルをかけるいわゆるSHURE掛けはちょっと慣れないけれど、低音も思いのほか出てるしなにより今まで気づけなかった音まで聴こえてくるようになって満足。

夜は前職の後輩と呑み会。仕事と社会貢献とむやみやたらなポジティブさと政治、話した感がしっかり感じられるものの何も後に残らない至極全うなクダまきオッサン呑み。24時前には帰宅。